必然的人材不足

タウンミーティングにおけるやらせ質問の話題は以外にしぶとい。
やらせと言うかいわゆるサクラだ。新しいアトラクションにサクラを呼ぶのもサクラに金を渡すのは当たり前だし、それが日本人的でもある。

そもそも日本人に健全なタウンミーティングなど期待できない、といのが現実なのではないか?政治や行政はお上に任せる、というのがいかにも日本人的な美徳であり駄目さでもある。タウンミーティングでやたらとしゃべるのはサクラか目立ちたがり屋か、どこぞのうるさい運動家ぐらいなものだ。そもそもサクラ以外で参加したいという市民の方が大いに奇特で謎な存在なのだ。

だからこそ僕はタウンミーティングにおけるやらせが国民に対する詐欺だとは思えない。そうでもしなきゃ見せ掛けだけでも議論にもならないし(そもそも日本人は手を挙げて発言すると言うのは学級会で卒業してるもん)、そもそも会場が埋まらない。恐らく何の発言もしないでいいから来てくれ、と駆り出された準サクラな方々はもっと多いだろう。
大体昨今の詐欺報道例えば光通信なんかを観て普通に国民が思うのはだました方の悪ではなく、だまされた方の情けなさだ。
「何でこんなのに引っかかるの?」と。詐欺とはそういうものだ。
こんな子供だましのタウンミーティングに引っかかる国民は希望的観測としていないだろうし、いたのだとしたらそれは国民側の問題だ。
この問題で真に問題なのはタウンミーティングのあり方ではなく、何故こんなことをやり始めたのか?と言うことに尽きる。

それはそうと先程報道ステーション本間正明政府税制会長のスキャンダル的報道がなされていたが、これをみて日本は恐ろしく平和であることを再認識する。
完成間近の議員宿舎も含めて国会議員や公務員の住居環境に対する批判が多いが、僕は乗り切れない。何故なら僕も僕の親父も会社から住居手当てをもらっているし、僕の周りにもそういう人間は多い。メディアは国民を一くくりにしてその付託を受けたといって批判するが、それははおかしい(少なくとも僕は付託してないぞ、朝日には)。
議員改革や公務員改革は早急に必要だが、それが金額面に留まるならばそれは成功しないだろう。政治家や高級官僚があまりにおいしくない仕事になれば、あんな仕事は誰もしたくないからである。
最近の日本人は政治と金に敏感だが、日本人ほど個人レベルで積極的に政治に金を出さないものはいない。だから税金に頼るし怪しい話にも乗ってしまう。
日本人はどうしても政治や行政に聖人君子を求めるが、聖人君子は普通金ももうけないし出世もしないのでいくら優れていても国政に打って出ようもないし官僚として影響力も持ちようがない。現代では聖人君子をもって愚か者を指すのである。現在の人材不足は必然である。

テレビでもお馴染みの某県選出のやたらと党首になりたがる方言丸出しの某議員を見れば分かる。国民がある程度政治に金を出さないとああいうのが庶民面して議員になってしまうのだ。勿論彼もいっぱしの歳費をもらっている、そしてできることと言えばテレビにでてイジラレルことぐらいなのである。

政治不信が叫ばれて久しいが、その原因は国民にもある。その証拠に国会議員や官僚の国民に対する信任は実に厚い。どうせこいつら政治のことなんて何も分からないし、投票にも行かないし、おまけにメディアは的外れな報道を繰り返して国民を萎えさせてくれるし、と。
そしてまさにそれはその通りなのである。